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須磨歴史名所マップ

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那須与市の墓

皆さんは那須与一、という人物をご存知でしょうか?
聞いたことはある人が多いんじゃないでしょうか、

与一とは、此処須磨の土地に大いに関わりの有る、治承・寿永の乱(源平合戦)、そして只今放送中のHNKドラマ『平清盛』にも関係する人物です。

与一といえば弓の名手、として知られていますが、其れには一つの伝説が残されています。
与一は治承・寿永の乱において、源頼朝方に加わりました。
屋島の戦いにて負けを認められない平氏方は軍船に扇の的を掲げ、射落としてみよと源氏へけしかけ、射手として選ばれたのが与一でした。
源義経に命じられ、与一は72m先にある海上を上下左右と揺れる船の上に掲げられた扇の的を見事射抜き、源平両軍は、歓声を上げて与一を褒め讃えた、という伝説が残されています。
この伝説はみなさんもご存知の平家物語にも記されています。

その那須与一の墓が此処、須磨にあります。
市営地下鉄、「妙法寺駅」、「板宿駅」から市バスで「那須神社前」に下車するとすぐに那須与一の墓が建っています。
この墓にお参りをすると年を老いても下の世話にならないとする言い伝えがあり、毎月7日の御命日には多くの参詣者が訪れます。またこの近くには与一が進行したとされる北向八幡神社があります。
戦乱後、八幡神社を訪れた与一は病にかかり、この地で死去した、という伝説も残されています。

ここの他に、京都府京都市の即成院、栃木県大田原市の菩薩寺玄性寺にも与一の墓はあります。

平安時代に活躍した弓の名手、那須与一。
源平合戦に活躍した彼の、現代まで残る歴史に触れてみてはいかがでしょうか?


<アクセス>

市営地下鉄「妙法寺駅」・「板宿駅」、山陽電鉄「板宿駅」から市バス5系統  「那須神社前」下車すぐ

Posted by 須磨浦マップ at 14:48 中世の須磨コメント(0)

平重衡とらわれの松跡

只今放送中のNHKドラマ『平清盛』と此処、須磨の土地とは強固な結びつきがあります。

今回は6年に渡る源氏平家による内乱、源平合戦という名で知られている治承・寿永の乱の中の一つ、須磨で行われた、一ノ谷の戦いに関わる歴史の一つをご紹介します。

一ノ谷の戦いについてはこちら≫

◆平重衡とらわれの松跡

今回ご紹介する中世の須磨を思わせる名所は山陽須磨駅下車すぐにあります。

一の谷の戦いの最中、重衡は東の前衛基地であった生田の森の守りを固める副大将でした。
しかし、源氏の激しい攻撃に総崩れになった平家。重衡も味方の船に乗り退却しようとしましたが、須磨寺の近くで馬を射られ生け捕りに合ってしまいます。

その時腰を下ろし悔し涙を流したのがこの松の木、と言われています。
その様子に同情した村人が一杯の獨酒を献上した所、重衡は大変喜んで受け取り一つの句を残しました。

ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて
           須磨で飲むこそ 濁酒なれ

その後、鎌倉に引き渡されるも、その器量に源頼朝は感心し厚遇されたと言われています。



平重衡の石碑以外にも一の谷の戦いは須磨に大きな影響を与え、様々な歴史の欠片を残しています。

以前伝記の方で紹介した安徳天皇の安徳宮
一ノ谷が激戦地で合ったことを教えてくれる、戦の濱など、
他にもまだ源氏と平家に関わる塚や寺、墓が残っております。
是非、須磨の歴史を巡ってみてくださいね。

<アクセス>
山陽電鉄「須磨寺駅」北すぐ

Posted by 須磨浦マップ at 15:59 中世の須磨コメント(0)

一ノ谷の戦い 戦の濱碑

日本の歴史の中で、須磨は、中世の時代に大きくかかわりました。
それが、2012年のNHKの大河ドラマ『平清盛』でも取り上がられる源氏平氏の戦いです。

今回は源氏と平氏の戦いに関わった史跡の一つをご紹介します。

一般的に「源平合戦」あるいは「源平の戦い」などの呼称が用いられている、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱、治承・寿永の乱。
後白河法皇の皇子以仁王の挙兵をきっかけに各地で平清盛を中心とする平氏政権に対する反乱が起こり、最終的には、反乱勢力同士の対立がありつつも平氏政権の崩壊により源頼朝を中心とした主に坂東平氏から構成される関東政権(鎌倉幕府)の樹立に至ったという戦です。
この戦いの最中、平清盛は熱病で命を落としました。


一ノ谷の戦い

6年に渡る長い治承・寿永の乱の中には幾つかの戦が有りました。その中の一つに「一ノ谷の戦い」があります。

一ノ谷の戦いは、平安時代の末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦いです。
一の谷から西一帯の海岸は戦いの激戦地になったことから、「戦の濱」と言われ今現在もそれを伝える碑、戦の濱碑が須磨浦公園の東側に建てられています。


また、寿永3年(1184)2月7日、源義経らが一の谷の裏手の断崖絶壁から駆け下り、予想もしない方法で平家を奇襲しました。このことで戦局が一転し平家軍の多くが討死したと伝えられています。
今では「逆落し」と呼ばれ、一の谷の戦いの中では有名な事柄です。
そのことから、毎年旧暦2月7日早朝には馬の嘶きが聞こえる、と伝えられています。

皆さんも現地に立って源義経が活躍した土地に触れてみませんか?
もしかしたら馬の嘶きが聞こえてくるかもしれません。

<アクセス>

山陽電鉄「須磨浦公園駅」から東へ徒歩約10分

JR・山陽電鉄「須磨駅」から西へ徒歩約15分


Posted by 須磨浦マップ at 14:31 中世の須磨コメント(0)